OUR ROOTS

私たちのルーツ

時代を越えて培われた
「願い」

[昭和の時代と私たち]

終戦後、高度成長の波に押され、
追い求めた「時代のニーズ」

戦時中、軍需産業の理研コンツェルンで働いていた糸井久夫が、鉄スクラップを中心とした製鋼原料を扱う事業を創業したのは、終戦後の1946(昭和21)年のこと。

1950年代に入り朝鮮戦争以降、鉄需要の勃興とともに事業を拡大させ、1955年、高崎市成田町に株式会社糸井商店を設立(その後1960年に、現在の「糸井商事株式会社」に名称変更)しました。それは奇しくも、日本の高度成長期(1955年〜1972年)の始まりの年でした。

激動の時代の流れに押され、設立から7年後には、小山、長野、太田に3つの営業所を、また、高崎市上大類町に現在の高崎工場となる「大類ヤード」を開設。その後も、「顧客と時代のニーズを追い求め続ける」という現在の経営理念に通じる姿勢を貫くことで、製鋼原料を基盤としながらも、時代のニーズに合わせて周辺分野に事業を拡大していき、1980(昭和55)年には、玉村工場(鉄スクラップ加工センター)の創業を開始しました。

[高崎の街と私たち]

地元高崎の街並みに世代を超えて
関わり続ける、私たちの願い

このような変遷の中で、地元高崎の街並みも、大きく姿を変えました。商店街が栄え、新しいビルが立ち、また、時代が過ぎ、経済状況も変わる中で、建物も老朽化し、取り壊され、そしてまた、時代に合った新しい街が現れる。

創業以来比較的初期から製鋼原料と共に鋼材の販売も行ってきたこともあり、私たちは事業活動を通して、そういった街の景色の変遷に、当事者として関わり続けてきました。

中には、当社で提供した鋼材でできたビルを、数十年後に当社で解体し、そこから出る金属屑を当社にて製鋼原料に加工して、鋼材メーカーに納入するという、高崎の街の景色に、世代を超えて関わるという稀有な経験もさせていただきました。

そのような私たちだから、地元高崎や、群馬の街並みに強い思い入れがあります。

そして、この土地で生きる人たちに、幸せであって欲しい。そういう願いが、私たち糸井商事の根っこに、確かにあるのだと思います。